流水成道blog: 執筆者アーカイブ

執筆者のブログ記事 1 / 1

弾圧は苛酷なままままに続き、1955年には新たなキャンペーンとして「潜行反革命分子粛清運動が(略して粛反)が行われました。とりわけ知識人を対象にしており、ある情報筋では8万人が逮捕されたといい、別の情報筋は77万人が死んだといいました。あらゆる整風運動がそうであったように、まず、自然発生的な発言ともっとも広汎な不賛成の意思表示とを掻立てておいた上で、つづいて「悪い思想」を露にした連中を粉砕するというものでした。

毛沢東主義社会が真に形成されたのはこの時です。文化大革命のときでさえ、社会を不安定化させたのは一時的に過ぎなかったのです。毛沢東主義社会の基礎は、自身の金言「階級闘争をわすれるな!」にあると言っていいでしょう。実際、この社会ではいっさいが、農村では土地改革のキャンペーンとともに、都市では1951年の「大衆」運動キャンペーンとともに開始され,1955年頃になって初めて完成をみた、個人へのレッテル張りの全般化に基づいていました。きまぐれな社会的区分でしたが、数千万人の人々にとって、これは悪魔のような結果を伴うものだったのです。

社会集団と政治集団を混淆した結果、「紅類」(労働者、貧農、下層中農、党幹部、人民解放軍兵士)と黒類(地主、富農、反革命分子)との二元的な分割となり、さらに2つのグループのあいだに「中立類」(知識人や資本家)が置かれていました。右派分子は公式に名誉回復されたとしても、次の大衆キャンペーンが起こると、格好の標的となりました。このシステムの地獄的な論理は、闘うべき、時には打倒すべき敵が必要であり、そこで、敵の「ストック」は絶えず補充されるべきだという点にありました。

参考:紅衛兵

このような分類法は言葉のマルクス主義的意味での社会階級より、むしろ,インド流のカーストに近いものといえました。レッテルの世襲化は社会を恐ろしく硬直化させ、「悪い生まれの」人々を絶望の中に投げ込むのに貢献したのです。実際「黒類」の人々にたいしては入学、就職、政治生活への参加の場合など、差別が伝統的に貫徹されました。「紅類」の配偶者と結婚するのは非常に難しく、社会は常に彼らを排除追放しがちでした。


参考文献:共産主義黒書 コミンテルン・アジア編
第二部 アジアの共産主義ー「再教育」と虐殺のあいだ
第一章 中国
土地改革と都市での粛清(1946ー1957)
都市:「サラミ戦術」と財産没収


ナチズムの犠牲者約2500万人に対し、共産主義により殺された人数は1億人に近い。民族・人種によるジェノサイドとイデオロギーによるジェノサイドがどこが違うのか?

共産主義黒書 第一部はこちら Crescendo

1949年に台湾と香港への流出を遅らせる為に赦免された国民党の元政治家・軍事幹部は2年も経たたないうちに殺されました。刑法の制定も弾圧を容易にするのに貢献し、「反革命分子」と「現行反革命」と「歴史的反革命」に区別し後者をも罰することにより、犯罪遡及(そきゅう)の原則を導入したのです。さらに犯罪を犯していない被告人を、「類推」によって裁くことも可能となりました。(遡及=法律や法律の要件の効力が、法律の施行や法律の要件の成立以前にまで、さかのぼって及ぶこと。過去にさかのぼって、効力を及ぼすこと。)

1957年に毛沢東地震が、この期間に一掃された反革命分子とおして80万の数字を挙げています。都市での処刑件数は少なくとも100万人の大台に達しました。都市においてこそ抑圧が最も厳しく、250万人が「労働強制所」に拘留されました。都市での粛清の形態は実際のところ、ソ連で行われたような秘密のベールに包まれたやり方と異なっていたのです。

労働者は街道委員会の指導のもと、資本家に対し帳簿の公開、批判の受け入れ、自己批判の実行の強制、さらに国家の管理の受け入れを強制しました。資本家がそれを受け入れれば調査グループに参加して同僚を密告するように勧められ、そうでなければ、事態は最初の段階からやり直しとなるのでした。知識人にたいしても、ほぼ同様でした。「服従と再生」の集会に参加して、自分の中に住み着いた「古い人間」を、その疑惑や自立的思想ともども殺したことを見せなければなりませんでした。彼らから逃れる手段は何一つなく、ーーーー伝統に忠実に選ばれた解決策としての自殺だけでした。

企業長は1951年以後、帳簿を公開せざるを得なくなり、1956年にはささやかな終身年金と時には旧会社の技術顧問のポストとひきかえに会社の集団化を「提案」されました(のちの文化大革命は否認されました)。中小企業の経営者は、何もかも巻き上げられて自殺することがしばしばでした。大企業の経営者の扱いは、海外ネットワークの絆を彼らが握っていたので、まだましでした。

参考文献:共産主義黒書 コミンテルン・アジア編
第二部 アジアの共産主義ー「再教育」と虐殺のあいだ
第一章 中国
土地改革と都市での粛清(1946ー1957)
都市:「サラミ戦術」と財産没収


ナチズムの犠牲者約2500万人に対し、共産主義により殺された人数は1億人に近い。民族・人種によるジェノサイドとイデオロギーによるジェノサイドがどこが違うのか?

共産主義黒書 第一部はこちら Crescendo

毛沢東は1950年11月の朝鮮戦争への中国軍の参戦に続く先鋭化段階(反革命鎮圧運動)に祭し、進行中の虐殺を公然と承認し「もちろんわれわれは、殺されるに値するすべての反動分子を殺さなければならない」と述べました。しかし、この時点における新たな要素は、終息に向かっていた土地改革ではなく、暴力的粛清の都市への拡大だったのです。

知識人、ブルジョワ、非共産党活動家、自立心が強すぎる共産党幹部など、中国共産党の全体主義的な統制計画を阻害する集団を完全な服従へと追い込むような、一連の「大衆運動」を推進して展開しました。このやり方は、ヨーロッパの人民民主主義諸国の建設期に採用された「サラミ戦術」とそれほどの違いはありませんでした。犯罪者と売春や賭博や阿片の吸引などの社会的疎外者は厳しく処罰されたのです。

統制システムは革命が勝利する前からほとんど出来上がっていました。都市では、国民党が復活させた伝統的な相互管理システム(保甲制)を完成させて、15から20世帯の居住者グループが居民委員会のもとに組織され、この委員会自体がまた街道委員会または社区委員会に従属していました。どのよなものもこの網の目から逃れることはできなかったのです。

どのような小さな責任であっても、それを持つ者は誰もが警察の補助的な役目を果たしていました。警察は最初は旧体制の役人の大半を吸収したものの、利用価値がなくなると、彼らは将来のキャンペーンの際、「自然な」標的となったのです。既存の刑務所の状況といえば、飢餓的な食料配給、労働による極度の疲労、非人間的な規律、さらに恒常的な肉体的暴力が支配していました。

1950年7月に「反革命分子一掃」のためのキャンペーンが開始されました。1951年には国家・党の幹部の汚職浪費、官僚主義にたいする「三反」運動、引き続いて賄賂、不正行為、脱税、職務怠慢、国家機密の漏洩といった「五反」運動、さらには西洋化された知識人にたいして「思想改造キャンペーン」が発動されました。知識人は定期的に「再教育」の研修を受けたのです。党中央に励まされ、公安部という「軍事部門」の助けを得て、書記たちは権力を行使し、濫用することになりました。とりわけ1951年という恐るべき年については「赤色テロル」の語を使うことができるでしょう。

参考文献:共産主義黒書 コミンテルン・アジア編
第二部 アジアの共産主義ー「再教育」と虐殺のあいだ
第一章 中国
土地改革と都市での粛清(1946ー1957)
都市:「サラミ戦術」と財産没収


ナチズムの犠牲者約2500万人に対し、共産主義により殺された人数は1億人に近い。民族・人種によるジェノサイドとイデオロギーによるジェノサイドがどこが違うのか?

共産主義黒書 第一部はこちら Crescendo

 恐怖、虐殺、粛清、搾取、飢餓・・・誰が暴力を行使したのか。歴史に記された貴方の真実。なぜ、ナチズムが断罪され共産主義はされないのか?フランス、ヨーロッパで大論争を巻き起こしたベストセラー共産主義黒書-犯罪・テロル・抑圧-<ソ連篇>を要約しながら紹介。

第四章 「醜悪な戦争」
危険な階級

 1919年春、トゥーラ、オリョールなどロシアのいくつかの労働者の町でストライキが起こりました。彼らの要求は1日半フント(200g)のパンが買えるだけの配給券にまでに下がってしまった給料を赤軍と同等の水準まで引き上げることでした。しかし、それだけでなく、共産党員の特権の廃止や徴兵の廃止、言論。出版の自由にまで及んだのです。

これらの運動がボリシェヴィキ政権にとって危険に思えたのは労働者街に居住する軍隊を味方につけたからです。ボリシェヴィキのこれらに対する弾圧の仕方は、工場全体のロックアウト、配給券の差し押さえ、処刑など様々でした。

1919年4月3日、ジェルジンスキーは兵器製造工場で起こったストライキを粉砕するためにトゥーラに赴きました。翌日には800人のリーダーが逮捕され、スト参加者(労働者)は工場から武力によって排除されました。そして、全労働者は解雇されたのです。数週間前から配給券は配布されておらず「飢え」という武器によって労働者の抵抗は打ち破られました。再びパンをもらうことと、ロックアウト後の仕事を見つけるために労働者は雇用願に署名しなければなりませんでした。そこには「今後仕事を中止した時は、兵士の逃亡と同様、死刑をもって罰せられる」と明記されていたのです。

 

当時のロシアの労働者は「飢え」というボリシェヴィキが持つ最も強力な武器に苦しめられていました。現在の日本は食料自給率の高さからみても簡単に飢えることはないようです。

 

関連:あやしい食料自給率

 

しかし、食料はあっても購入する現金の無い家庭が急増しています。企業倒産、失業率の上昇、デフレ経済と経済不がは深刻化していることで家計にはお金がありません。生きる為にロシアの労働者はストを実行しましたが、臆病な日本人は弱者を狙った強盗や、人目を盗んだ万引を犯しています。毒電波のマスコミにやられ、まともな教育を受けられなかったために、孤立してしまい戦う勇気も無くしてしましました。(デモやストを勧めているわけではありません)

鳩山首相の偽装献金疑惑は上申書を提出することで不起訴処分となります。脱税しても上申書を提出をすることでゆるされるということです。また、民主党はガソリン税の暫定税率についても新しい課税の仕組みにより実質的に維持としました。あきらかな公約違反ですが賢明な方は予想していた通りの結果だったでしょう。

 

関連:ガソリン税率維持で決着=鳩山首相、公約違反「おわび」−子ども手当は所得制限せず

 

来年からは実質増税となるので大多数の方の生活は苦しくなります。家計が苦しくなれば「子供手当」に期待し、失業すれば生活保護を充てにする気持ちも分からないではありますが、それは国家に依存する人々を増やし、やがて自らの重みで崩壊してしまうのです。大切なことは一人一人が学ぶことで教育レベルは向上し、私達が参加する集団の資本も豊かになるということを知ることです。生活苦の原因は、時代の転換点にあるにもかかわらず要素還元主義の問題点すら気づかない政治家であり経営者であり、そして国民なのです。

汚染された土壌から汚染された作物が(自民党や民主党)が生まれましたが、やがて大量絶滅となります。それを免れ(予測し行動する)生残った生物は進化の道を歩むことになりますが、そのための手段や方法を知ることができるのが12月30日の東京コミケ、橘研究所のブースです。是非お待ちしております。では、東京でお会いしましょう。

 

 By 倉橋 「Crescendo 」もよろしくね! 

秋月便り」を読んで「御蔵」に参加しょう!

 

 

 恐怖、虐殺、粛清、搾取、飢餓・・・誰が暴力を行使したのか。歴史に記された真実。なぜ、ナチズムが断罪され共産主義はされないのか?フランス、ヨーロッパで大論争を巻き起こしたベストセラー共産主義黒書-犯罪・テロル・抑圧-<ソ連篇>を要約しながら紹介。

第四章 「醜悪な戦争」
隠蔽された労働者への弾圧

 ボリシェヴィキは労働者の名において政権を獲得したのだが、弾圧のエピソードの中で新体制が最も注意深く隠蔽したのは、まさにその労働者に対して加えた暴力であった。(本文より)

1919年3月10日、プチーロフ工場の労働者の総会は正式にボリシェヴィキを非難する宣言を採択しました。日ごとに増大する運動を抑えるためにレーニンはペトログラードへ赴き、労働者に占拠されている工場で演説を試みましたが「ユダヤ人と人民委員を倒せ!」という叫びにやじり倒されました。

ボリシェヴィキ指導者の中にはトロツキーやカーメネフといったユダヤ人の割合が多く、大衆が昔から抱く反ユダヤ主義が、ユダヤ人とボリシェヴィキを結びつけたのです。1917年十月の革命のボリシェヴィキが獲得していた信頼が失われつつあったのです。

1919年3月16日チェーカーの分遣隊はプチーロフ工場を襲撃し、およそ900人の労働者を逮捕。その後の数日間に約200人のストライキ参加者が主リッセリブルグ要塞監獄で裁判なしに処刑されました。スト参加者は解雇された後「犯罪に引き込まれた」という声明に署名したあとでなければ、再雇用されませんでした。

チェーカーの秘密部門は密告者網を設置し、労働者は厳しい監視下におかれたのです。

 

さて、現在の優良企業の目安として「純利益」が挙げられますが、国際会計基準の一つである「包括利益」という項目が加えられると日本の大手企業は軒並み大赤字に転落していまいます。すると当たり前ですが企業は生き残ろうとして早期退職者の募集やリストラを推し進めることになります。つまり大失業時代が迫っているのです。単に景気サイクルの好不況であれば資本の大きい大企業は乗り越えられますが、今回のように帝国循環の終焉を意味する、根底から崩壊していく状況においては全くの無力でしょう。

 

軒並み大赤字23社

 

この話題でさえ激動する時代の小さな出来ごとにしか過ぎません。石油の枯渇は需要の減少を招き、日々の労働に追われた労働者の賃金は低廉化し生活はますます貧しくなり経済的奴隷となるのです。あるいは、人口の大幅な減少へと繋がるかもしれません。かつて地上を支配した恐竜は絶滅しました。環境の変化が起こり大量の死滅が発生したことで、生き残った生物は鳥へと進化したのです。もし、この事実を知っていて自らの死を受け入れるつもりであれば何も言いませんが、進化を望むなら水素文明を学ぶことを奨励します。水素文明は情報型社会です。この文明において必要なのは智識ですが、その教科書となる本が出版されます。

 

水素革命近未来!高橋誠一郎 著

 

もちろん、一般の書店でも販売されます。ですから今年のクリスマスにはこの本を贈り、大切な人の未来を約束することがサンタとしての貴方の努めでしょう。そして東京コミケには著者も参加されます。是非、12月30日にはコミケ77に貴方も参加してください。では東京でお会いしましょう!

 

 By 倉橋 「Crescendo 」もよろしくね! 

秋月便り」を読んで「御蔵」に参加しょう!

 

  恐怖、虐殺、粛清、搾取、飢餓・・・誰が暴力を行使したのか。歴史に記された貴方の真実。なぜ、ナチズムが断罪され共産主義はされないのか?フランス、ヨーロッパで大論争を巻き起こしたベストセラー共産主義黒書-犯罪・テロル・抑圧-<ソ連篇>を要約しながら紹介。

第四章 「醜悪な戦争」
ボリシェヴィキ・テロルの類型

 

ーアナキストから君主制支持者までの非ボリシェヴィキの政治的闘士

ーパン、仕事、最低の自由と尊厳といった、最も基本的な権利のため戦う労働者

ー無数の農民反乱と赤軍部隊の反乱に巻き込まれた農民、脱走兵

ーソビエト体制に敵対的な社会的および民族的グループとして大量に強制収容されたコサック

ー「社会的異分子」および他の「人民の敵」・・・「容疑者」および「人質」として」予防的に抹殺された者

  

第四章 「醜悪な戦争」
徹底した弾圧

 1918年4月11日、モスクワのアナキストへの襲撃、このときは数十人がその場で処刑されました。1919年から1921年の間に138人が処刑、281人が流刑。こうしたことから、アナキストの中にはボリシェヴィキ陣営への復帰をする者や、チェーカーの幹部になった者すらいました。

左派社会革命党は1919年には58の左派社会革命党の組織が解体され、翌年には45がつぶされました。右派社会革命党は最も危険な政敵とみなされ1918年6月にはメンシェヴィキと共に排除されました。その後はメンシェヴィキと一緒に短命の政府をつくったものの崩壊され、ボリシェヴィキに対して一貫した政策を取ることが困難でした。一方、ボリシェヴィキは穏健派にたいして宥和政策とスパイ作戦や弾圧政策を交互に行ったのです。そして、1919年3月31日チェーカーは社会革命党とメンシェヴィキの活動家を一斉検挙し1900人以上の活動家が逮捕されました。

1919年8月28日、レーニンが「プラウダ」に論文を発表した直後に「逮捕の第二波」が起こりました。その中でエスーエルとメンシェヴィキを「白軍、地主、資本家の共犯者にして従僕」と非難し1919年最後の4ヶ月間で2380人の社会革命党員とメンシェヴィキが逮捕しています。そして、1920年の夏には2000人以上のが人質として逮捕されました。

 

小沢氏への権力一極集中が進んでいます。

 

 小沢「強権・独裁」批判も無視!“自民殲滅”作戦へ猛進

 

30日ルールを無視し天皇陛下と中国の習近平国家副主席との特例会見を推し進めたニュースを観ても小沢氏への権力集中は進んでいるということです。

そして小沢氏は、政権奪還の為に手段を選ばない自民党の底力を知り抜いていて、多少強引でも自民党を殲滅しようと考えているようです。これも来年夏の参院選や統一地方選挙を見据え、自民党を殲滅し民主党の政権を安定させる為ですが、この報道だけ見ても、一次的であれ1917年11〜12月の総選挙の時にたやすく多数派になった右派社会革命党、そしてまたメンシェヴィキを追いつめた時のボリシェヴィキと相似しています。

また、「子ども手当」への所得制限導入やガソリン税の暫定税率維持など、党の総選挙マニフェストに反する項目を挙げる民主党は、農民謂土地を与えるとして人心を集め、権力を握った後は掌を返すやり方など、まさしく当時のボリシェヴィキ体制と全く同じです。

ボリシェヴィキ体制へ反対する政治的闘士は投獄されたり、流刑になったりしながらも生き残った反対党の指導者は多くの証言を残しています。しかし、チェーカーの懲罰作戦で虐殺されたり処刑された労働者や下層の農民は何も残すことができませんでした。当時何も残すことが出来なかった彼らと現在の日本で生きる私達と何ら変わりありません。

 

 絶えぬ過労自殺、裁判で実態明らかに 若手の負荷増加

 労災認定:アルバイトに「過労」 コンビニ残業160時間--42歳、統合失調症

 

来年以降、この苛酷さは増していきます。歴史のフラクタルを知れば未来を観ることができます。それが光なのか闇なのか、どちらを選択するのか決めるのは貴方なのです。

それでは12月30日東京でお会いしましょう。

 

 

 By 倉橋 「Crescendo 」もよろしくね! 

秋月便り」を読んで「御蔵」に参加しょう!

   

 

 

 恐怖、虐殺、粛清、搾取、飢餓・・・誰が暴力を行使したのか。歴史に記された貴方の真実。なぜ、ナチズムが断罪され共産主義はされないのか?フランス、ヨーロッパで大論争を巻き起こしたベストセラー共産主義黒書-犯罪・テロル・抑圧-<ソ連篇>を要約しながら紹介。

第四章 「醜悪な戦争」
「緑」軍

 ロシアの内戦は赤(ボリシェヴィキ)と白(君主制支持者)の闘争として捉えられています。実際は赤軍と雑多な白軍を構成する編成部隊との闘争でした。また、両軍が「緑」軍と呼ぶ、何百万という言うことをきかない、戦線から脱走した農民の反抗は双方の一進一退に決定的役割をはたしました。赤であれ白であれ、一方が支配する地域において反対派に向けられた平定作戦こそ「醜悪な戦争」と呼ぶにふさわしかったのです。

ボリシェヴィキの占領した地区では「階級闘争」、白軍の占領した地域では「ユダヤ=ボリシェヴィキ」に共鳴しているかもしれない分子の追撃。特にボリシェヴィキのテロルは体系的で組織化されていました。チェーカーと共和国国内守備群は、あらゆる優先権を行使した強力で組織立った弾圧機関だったのです。

 

hashimoto.jpg写真:asahi.com 

ソ連崩壊後の1992年以後、超大国と化したアメリカはグローバリーゼーションを世界中に展開し「大競争時代」へと突入しました。この結果大企業は安い労働力を求めて途上国へと移転が増加し、正規雇用が減少することでプレカリアートと呼ばれるパートやアルバイト、フリーター、失業者、ニートや貧困を強いられる零細自営業者が増加しました。2008年版の青少年白書では日本人の15〜19歳の約7割が非正規雇用と報告されています。

この状況は現在でも続いていて、さらに今後の世界経済の転落を考えてみれば、それは拡大する恐れがあることは皆さんも感じられることでしょう。

カール・マルクスは無産階級や労働社会階級のなかでも革命意欲を失った極貧層をルンペンプロレタリアートと定義しています。原義的には「ブルジョア階級の煽動に乗り易く革命に非協力的な最貧層」ということです。

20世紀に入ると指導部や独裁政党に従おうとしない極貧層は暴力により従わせ、最悪の場合「粛正」ということで殺しても構わないという考え方がでてきたのです。

あらゆる優先権を行使した機関として、最近の民主党の動きは似ていると言わざるを得ません。さらに先日、橋下知事と民主党小沢幹事長との会談が行われました。「とてつもない、日本を動かしている感じ」と知事は記者団に語っていました。

人気がありパフォーマンスの上手い橋下知事が小沢幹事長をメディアを通じて評価すれば、記事や映像を観た人は改めて「やっぱり、すごいんじゃないか」と納得してしまうかもしれません。これにより煽動に乗りやすく革命に非協力的な最貧層は、さらに固定化されてしまいます。上手い演出です。

問題は、従わないのであれば「粛正」という名目で殺されるということです。

「歴史は繰り返される」という言葉は誰もが知っていますが、自分が「不幸な歴史には巻き込まれないだろう」というのは希望的観測にしかすぎないのです。時代が流動化するこの時に変化を拒むのであれば闇に包まれるでしょう。12月30日のコミケ77に参加して真実の希望を観てみてください。

一部  Wikipediea 引用

 By 倉橋 「Crescendo 」もよろしくね! 

秋月便り」を読んで「御蔵」に参加しょう!

 

 恐怖、虐殺、粛清、搾取、飢餓・・・誰が暴力を行使したのか。歴史に記された貴方の真実。なぜ、ナチズムが断罪され共産主義はされないのか?フランス、ヨーロッパで大論争を巻き起こしたベストセラー共産主義黒書-犯罪・テロル・抑圧-<ソ連篇>を要約しながら紹介。

第三章 赤色テロル
テロルの合法化

「たとえば、社会のある階級を従属させたり、あるいは皆殺しにすることによって」

1917年8月、後のチェーカー長官となるジェルジンスキーのセリフです。憲法は、ある国、ある時代の社会の力関係できまる、この政治と社会の相関関係を根本的に変える為の手段として「皆殺し」を考えているのです。「抑圧者」を「階級」として絶滅せんとした、長い間抱いてきた憎悪のはけ口とも言えそうです。

このような計算された苛酷さは多くのボリシェヴィキの共有するところであり、指導者の一人グリゴーリー・ジェノヴィエフはソビエトの人口1億人のうち9000万人の支持を得なければならないとし、残りの1000万人は残滅されるべきと断言しました。

1918年9月5日ソビエト政府は「赤色テロルについて」という政令によりテロルを合法化しました。チェーカーの強化、強制収容所への隔離、暴動や陰謀と関係するすべての個人を銃殺というものです。誰であれ身元照会なしで即時処刑するという権利を合法的に認めた内容でした。

自民党政府に嫌気のさした国民の支持により民主党、鳩山内閣が誕生しました。当初の内閣支持率は70%を超えていたかと思います。「労役者の時代」を象徴する民主党政権。最近おこなわれた「事業仕分け」では国内を汚染するための原発に関する予算は満額回答でしたが、将来の日本の技術力を支える「スパーコンピューター」の件では一悶着ありました。多くの国民の支持を得ながら、人々を暗黒の世界へと導いてしまうことに歴史のフラクタルを感じてしまうのです。

 By 倉橋 「Crescendo 」もよろしくね!

 「秋月便り」を読んで「御蔵」に参加しょう!

 

このアーカイブについて

このページには、過去に書かれたブログ記事のうち執筆者カテゴリに属しているものが含まれています。

前のカテゴリは写真です。

次のカテゴリは近況です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

Podcast購読

iTunesのPodcastメニューの画面にこのアイコンをドラッグ&ドロップすることで、番組を登録できます。



メルマガ購読

2011年12月

        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
Powered by Movable Type 5.02