流水成道blog: 2010年8月アーカイブ

2010年8月アーカイブ

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中国では、有罪だから逮捕されるのではなく、逮捕されたから有罪なのです。いっさいの逮捕は、毛沢東が主席である共産党に支配された「人民政府」の一機関の警察によって行われました。ですから、逮捕の正当性に異議を申し立てることは、毛沢東の革命路線に反対することであり、反革命分子としての自己の本性を一層暴露することになりました。自分の犯罪を認め、万事において服従すること、これが唯一許された道でした。

この精神システムの以上な論理によれば、被告人自身が自分の逮捕の理由を提供しなければなりません。数ヶ月の作業、数百ページにわたり、数十年の人生を物語るような、自白書の執筆であり、長期にわたり繰り返され、時には3000時間に及ぶことすらある尋問でした。「党には時間はたっぷりある」とはよく聴かされた言葉でした。取調官は頻繁に、睡眠の剥奪や、非常に重い刑罰の脅しや、さらに稼働中の拷問室への恐ろしい見学などの手段に訴えたのです。

いづれにせよ、1950年代半ばと文化大革命の間の時期は、厳密な意味での肉体的暴力がふるわれていることは稀でした.拷問に似たすべての行為や、殴打や侮辱でさえ厳禁とされ、被拘禁者もそれを知っていました。ゆえに、「失態」が有った場合、婉曲な形の暴力に訴える手段として「試練」(他の囚人からの殴打は許されていた)を受けさせるか、暖房も無く、空気もめったに通らない残忍な懲罰房に閉じ込める処置が使われました。懲罰房は横になれないほど狭く、たいていは鎖につながれていたため、排泄や食事はほとんど不可能でした。飢えた囚人は、制裁が一週間以上長引くと、ほとんどの場合死んだのです。

特別の手錠をはめさせ、囚人の手首を締め上げることは、毛沢東の刑務所できわめて広く行われていた拷問の形態でした。囚人が食べることも飲むことも、便所に行くこともできないようにすることもありました。その目的は、個人を貶めることにより、その士気を失わせることにあったのです。人民政府はあらゆる形態の拷問を廃止したと主張していたので、これは公式には「懲罰」または「説得」と呼ばれていました。

 

出陣 ver

勇気を持って参加しよう!

参考文献:共産主義黒書 コミンテルン・アジア編
第二部 アジアの共産主義ー「再教育」と虐殺のあいだ
第一章 中国
労改(ラオガイ)ー隠された<グラーグ>

共産主義黒書 第一部はこちら Crescendo

食料ーこれこそ、全監獄制度の中で唯一大事なものであり、最大の喜び、最も強いモチベーションでした。薄く水っぽいトウモロコシ粉の粥、固く小さいパン、そして、野菜の切れはしが生活の中心になり、最も深い関心尾基本的な対象となりました。労働収容所という所では食料の質と豊富さついておよそ考えられないような噂話や夢のような話が飛交っていました。こうした食事が一年も続くと、食料を手に入れるためだったら、どんなことでも認めようという気になったのでした。

以前はひどくなかった食事も「百花斉放」の時期に,人民代表団が刑務所を視察に来たとき、囚人が腹いっぱい食べているのを見て憤慨してから変化しました。社会の屑であり、人民の敵である反革命分子が、多くの農民より高い生活水準を享受しているのは許し難いと結論したのでした。1957年11月を境に、米も、肉も、小麦粉も祭日の食事から姿を消したのでした。

囚人に圧力をかける古典的な手段は人参を与えることでした。つまり寛大な処置をとるとの約束を与えるのです。自分の「犯罪」をすべて告白した場合、模範的に振る舞った場合、仲間の「更生」に積極的に貢献した場合、そしてまた、従順でない同囚人者を告発した場合でした。そいうわけで、重い判決を受けた多くの人は数年でも刑を軽減してもらえるのではないかと期待して、熱心な宣伝家としてふるまいました。しかしながら、彼らはほとんど見返りを得ることは無かったのです。


ある年取った囚人はこの間の秘密を次のようにあばいています。「共産党員は、敵と交わした約束を守る必要は無いと思っている。彼らは自らの目的をとげる手段として、役に立つならどんな卑怯な手口や策略でも使うのを躊躇しないー脅迫や約束も含めてだ。もう一つ覚えておきたまえ。共産党員は変節するような人間には、これぽっちも敬意を持たないものだ」

人参に対する鞭はもっと実質的でした。告白の強要に屈しない者、告発を拒否する者、判決に対し控訴し「大衆の意思」を認めないとするもの、これらの者は新たに重刑を宣告されたたのです。似たような状況下に置かれれば、およそ囚人なるものの圧倒的多数が服従の外的兆候を示すようになります。再教育の効力は、心理的プレッシャーを加える手段であり、一つは、党と管理局が父母の役を演じて、話し方や歩き方や、食欲や衛生の管理の仕方に至るまでを、絶対的従属関係のなかで囚人に教え直すことで、もう一つは、被拘禁者の妻を離婚に追い込むなり、子供にその父親を否認させるなり、真の家族との接触をほとんど不可能にしておいたうえで、代理家族と呼んだらいいのか、身振りや言葉の一つ一つに責任を持ってくれる集団へ囚人を融合させることでした。

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参考文献:共産主義黒書 コミンテルン・アジア編
第二部 アジアの共産主義ー「再教育」と虐殺のあいだ
第一章 中国
労改(ラオガイ)ー隠された<グラーグ>

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収容は被拘禁者の改造と「新しい人間」への変革を促しました。

公安部の内部資料によると、被疑者は次のような過程を通過すると記述されていました。まず、自分の罪を認めたあとでなければ法に従うことはできない。罪を認めることは必要な前提条件であり、法への服従は改造の始まりである。つまり、罪を認めることと法を遵守することは、受刑者に最初に教えるべき教訓であると。

過去との決別を実現したとき、囚人の頭脳に「正しい思想」が浸透しはじめる。犯罪者の政治的思想を正しい方向へ戻す為には、4つの基本的教育原理を確立することが絶対必要だ。すなわち、マルクスーレーニン主義、毛沢東主義と社会主義への信念、共産党、人民の民主独裁である。

囚人の中に「進歩」の不十分な者がいるか、あるいは政治キャンペーンの期間中の場合学習時間は昼間まで延長され、1週間あるいは1ヶ月続くこともありました。「
ノンストップ学習」は多くの場合2週間から3ヶ月に渡り,刑務所世界へ同化するための研修期間の役割を果たしたのです。

目的は、党に絶対服従する大衆のなかに個々人を融合させることにあり、個人の人格を放棄させることにありました。「政府を前にしてわれわれは共に学び、互いに監視し合わなければならない」というのがスローガンで、それは刑務所内のいたるところに書かれていました。「われわれ全員が罪を犯したのはきわめて悪い思想を持っていたからにほかならない」と監房長(彼自身囚人であった)は断言し、その咎は資本主義、帝国主義、反動的思想による汚染に帰せられました。何一つ政治から逃れられないこの社会では、すべての罪はつまるところ政治次元のものでした。

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参考文献:共産主義黒書 コミンテルン・アジア編
第二部 アジアの共産主義ー「再教育」と虐殺のあいだ
第一章 中国
労改(ラオガイ)ー隠された<グラーグ>

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遅くなってしまいましたが、ドラマ原発震災の第3話「錯綜する情報」の脚本を書きました。

明日、8月1日(日)の夜に収録しますので、出演者の方、ログインをお願いします。

今までの本編はこちら。Podcastに登録しておけば、次から簡単に聴けます。

予告編はこちら。

松浦彰夫 拝

 

p.s. こちらは、直接は関係ないですが、原子力つながりで炉心融解です。

 

しばらく本文が消えていました。すみません。

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