中国共産主義は疑いも無く死体に満ちあふれていて、何よりも異例なのは、それを長いあいだ世界の目から隠してきたということです。広大な牢獄世界もまた、例外ではありませんでした。1000カ所あまりの大規模な労働収容所と、無数といってよい拘留センターを擁していながら、これについて少しでも言及されることはありませんでした。抑圧機関はおのれを隠すすべを心得ていたのです。
毛沢東主義の時代には、予審の全期間に渡り訪問禁止が慣例でした。近親者といえども、囚人の拘置場所やその死亡場所を通知されるとは限らず、通知があったとしてもずっと後からでした。秘密の牢獄に囚われていた共和国の元国家主席、劉少奇の子供たちがその死を知ったのは3年経ったあとの1972年になってからのことでした。
元囚人の証言は、長い間、希少な存在でした。毛沢東時代の監獄世界をでるのはきわめた困難で、めったにないことでしたし、また、釈放された者は自分の苦しい経験を全く話さないよう約束しなければならず、
違反すれば再び拘留されるからでした。囚人のはんの一部に過ぎない外国人は自国政府の保護を受け、生きて刑務所の外へ出られることが多く、主要な情報源となりました。
参考文献:共産主義黒書 コミンテルン・アジア編
第二部 アジアの共産主義ー「再教育」と虐殺のあいだ
第一章 中国
労改(ラオガイ)ー隠された<グラーグ>
共産主義黒書 第一部はこちら Crescendo












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