同じ収容所内には労教、すなわち「労働による再教育」に割り振られた人々がいました。この集団の犠牲者は刑の宣言も受けていなければ、公民権も失っておらず、わずかな給料も受け取っていました。実際は拘禁には期限が無く、収容所には投票所が無く、食費と居住費として給料のほとんどが天引きされていました。彼らが犯したとされる違反行為は軽微で、労教で過ごす期間は原則として数年を超えることはなかったのですが、その長短は態度次第ということを幾度も思い知らされました。公安部は労教と労改の両方を管理していたため、双方の拘禁・労働条件は近いものでした。
「自由労働者」とよばれた「特権的」な集団が就業という「職業を強制的に割り当てられた者」たちでした。彼らの自由は制限付きのもので年に1回か2回は外出許可が出る以外は収容所を離れる権利はありませんでした。労教より待遇はよく、給料は少しはましで、家族を呼び寄せ、結婚もできるのですが、半刑務所的状況での生活は変わりなかったのです。
職業も、都会に住む権利も失い、離婚して、生涯被疑者である彼らにとって最も悲しいのは、多くは他に行き場がなく、この境遇に甘んじなければならないことでした。何の希望もない自由労働者は、怠け者で、未熟練で不潔でした。見るからに彼らは何一つ試みる値打ちも無いと決めているようだったのです。これら自由労働者は身の回りに何が起ころうとすっかり馬鹿にしていました。毛沢東の治下においては、有罪判決という有罪判決は実際上ほとんど終身刑だったといえるでしょう。
*「見るからに彼らは何一つ試みる値打ちも無いと決めているようだったのです」まさに現代の日本社会を反映しています。「自由」という名の「不自由」を強いられながら気づくこともせず、見ても見ないフリをしながら日々を過ごすのなら、収容所に拘禁された人々と同じ結末を迎えるでしょう。これらの不幸に巻き込まれないためにも 平成22年8月13日(金)に行われる懇親会に参加してみてください。
参考文献:共産主義黒書 コミンテルン・アジア編
第二部 アジアの共産主義ー「再教育」と虐殺のあいだ
第一章 中国
労改(ラオガイ)ー隠された<グラーグ>
共産主義黒書 第一部はこちら Crescendo












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