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数ヶ月のあいだ、すべてが完璧に進行しているように見えました。「もっと多く、もっと早く、よりよく、そしてより経済的に」生産し、責任者は新記録につぐ新記録を発表し、その結果として目標は絶えずはね上がることとなりました。主席が保証するとおり、「状況はすばらしい」のだから、生産ノルマは引き上げられ、義務的な供出量は増加し、作業場建設のために農地を更地にするように命令されました。
しかし、幹部は自らの罠にはまりこんでしまいました。ーーー楽天主義の罠、百戦百勝を重ねた成功の罠、戦闘中の軍隊でも指揮するように経済と労働者を管理するのに慣れた、長征生え抜きの神話的指導者は万能だという思い込みの罠へと。幹部のとっては、耐え難いほど住民を搾りあげてでも、何とかして予定通りの引き渡し額を供給するために、統計の数字をいじることの方が、神聖不可侵な目標を達成できなかったと告白するよりリスクが少なかったのです。1958−1959年には、うそが大きければ大きいほど、嘘をついた者の昇進は早かったのでした。潜在的な批判者は牢獄か灌漑工事の現場行きだったのです。
ソ連アカデミー会員から直接輸入された、遺伝学の主意主義的否定に基づくある種の農学的方法は、ソ連におけると同様、中国でも教条的価値を帯びていました。農民に押し付けられたとき、それらの方法は悲惨な結果をもたらしたのです。超過密な播種は若い苗を枯らし、深耕は土地を干上がらせました。あるいは塩分を地表へと浮き上がらせたのでした。その他の誤りは、穀物を食べる雀を皆殺しにすると、寄生虫が急増したのでした。また、数多くの水利工事が行われましたが互いに調整がとれておらず、工事は役に立たないか、有害でさえありました。しかも、その工事には多くの人命の犠牲をともなったのでした。
参考文献:共産主義黒書 コミンテルン・アジア編
第二部 アジアの共産主義ー「再教育」と虐殺のあいだ
第一章 中国
史上最大の飢饉(1959ー1961)
ナチズムの犠牲者約2500万人に対し、共産主義により殺された人数は1億人に近い。民族・人種によるジェノサイドとイデオロギーによるジェノサイドがどこが違うのか?
共産主義黒書 第一部はこちら Crescendo
史上最大の飢饉(1959ー1961)2
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このブログ記事について
このページは、倉橋正幸が2010年3月13日 15:00に書いたブログ記事です。
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