党の規律は批判と自己批判の厳格な形式に基づいていました。細胞責任者は、だれが批判されるべきか、なぜそうされなければならないかを決めていました。「被告」には唯一の権利として自分の「誤り」を悔いることがあるだけです。もしも無実と考えたりすると、攻撃がまた初めから繰り返されるのでした。まさしく心理的な調教と言えるでしょう。この残酷な心理的強制方法は「精神の浄化」と呼ばれ、組織に息のつまるような雰囲気をもたらしていたのです。多くの共産党活動家が自殺したり、逃亡したり、精神患者になったりしました。
弾圧は徐々に洗練さを加えていきました。日本と国民党に対する戦争の時には、1940年における3ヶ月間で3600人の犠牲者をだしながら、暗殺は個別化の傾向をたどっていました。裏切り者が特に狙われました。ある元ゲリラ指導者によれば、人民が革命の道を継続する以外に選択の余地がないようにするため、多数の裏切り者を殺したそうです。監獄制度が発達すると、処刑という手段は減少しました。1932年の江西のソビエト地区では、労働による更生施設が栄えていました。1939年には、長期刑に処せられた者たちは労働・生産センターに入所させられました。これには3点の利点があったのです。罰が恐ろしくて住民の離反が起きないこと。使用可能な労働力を得られること。再教育の手段を通じて、新たに忠誠を誓う者を復帰させること。日本人の捕虜ですら、こうして中国紅軍の後継者である人民解放軍に組み入れられ、蒋介石との戦争に使われることがあったのです。
参考文献:共産主義黒書 コミンテルン・アジア編
第二部 アジアの共産主義ー「再教育」と虐殺のあいだ
第一章 中国
テロルと切り離せない革命(1927ー1946)
ソビエトのスターリン主義者が見た延安での毛沢東主義の方法
ナチズムの犠牲者約2500万人に対し、共産主義により殺された人数は1億人に近い。民族・人種によるジェノサイドとイデオロギーによるジェノサイドがどこが違うのか?
共産主義黒書 第一部はこちら Crescendo
ソビエトのスターリン主義者が見た延安での毛沢東主義の方法
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このページは、倉橋正幸が2010年2月22日 11:03に書いたブログ記事です。
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