世の中には、人から慕われ、人を集める人が居る一方で、人から避けられ、人を集められない人がいます。当たり前ですが、考えてみると不思議な話です。同じ人類として生まれたのに、どこが違うのでしょうか?
人が集まる積極的な理由としては、その人と居ると楽しいからというのがあります。また、消極的な理由としては、その人と居ると生き残りやすいとか、利益になるというのもあります。
楽しいというのは人格、生き残りやすい、利益になるというのは能力ですね。人格と能力に優れていたら人を集めやすいです。
歴史上の人物でいえば、源頼朝は一緒に居て楽しいから人が集まってきたタイプだと思います。ジンギスカンなどは戦争に強かったので生き残るために人が集まったタイプでしょうか。
彼らのような歴史上の英雄に、「なぜそんな事が出来たのか?」、「なぜそうしようとしたか?」を聞ければいいのですが、歴史年表を見ても何をしたかは書いてますが、なぜそれをしたかははっきりしないです。
今回は英雄たちの戦う理由を知るために、文学の力を借りてみます。
銀河英雄伝説という小説があります。アニメ化・漫画化もされています。ご存知の方も多いと思います。宇宙に進出した人類が、銀河帝国のラインハルト・フォン・ローエングラムと自由惑星同盟のヤン・ウェンリーが戦う話です。人物の描写が優れていますので、知らない方は一度読んでみる事をお勧めします。
ラインハルトは貧乏貴族の少年でしたが、ある日のこと、15歳の少女だった姉が、銀河帝国皇帝の後宮に金で買われてしまいます。貧乏貴族の父では皇帝に逆らえないとはいえ、許せないラインハルトは皇帝から姉を取り戻す事を親友のジークフリード・キルヒアイスに誓います。幼年学校から軍隊に入り、皇帝と貴族たちを倒し、帝国の実権を握るための戦いを続けていきます。やがて、ラインハルトは、帝国の貴族を倒し、銀河を統一し、ローエングラム王朝を打ち立てることになります。
自由惑星同盟のヤンは、ラインハルトの敵として戦場で遭遇します。ヤンは歴史家志望でしたが、親を失って教育費のためにしかたなく軍人になりました。元々戦いをする理由は希薄なため、自分から戦いをしかけず、攻め込まれてから守る立場です。ただし戦闘の上手さは帝国軍の将軍以上であり、数倍の敵軍と戦いながら、いつも勝利か引き分けに持ち込みました。ヤンの戦う理由は、始めは部下をできるだけ死なせない事であり、やがて自由惑星同盟の民主政治を守ることが目的になっていきました。「美味い紅茶を飲めるのは生きていればこそだから、生きて帰るように戦おう」と演説しています。
ラインハルトは「奪われたものを取り戻すための戦い」で、ヤンは「正しいと信じるものを守るための戦い」でした。戦う理由がはっきりしており、しかもその理由が利他的で誇らしいものであるほど、その闘志はブレがないものになります。そしてブレないからこそ、後に続く者にとって付いていく価値がある指揮官になっていました。
逆に、私利私欲のために戦う指導者は、部下を使い捨てにしますので、残った部下はいつ自分も使い捨てられるか不安になり、部下から捨てられ、跡を継ぐ者も無く、死んでいきました。
連山では、キュロスの教育や名将たちの教育論で、指導者や指揮官にふさわしい人格や能力がどういうものか、それを身につけるためにどう訓練するか、という話をしています。これらを読み返してみると、銀河英雄伝説の英雄達と共通点があるように感じます。義務感、勇気、忍耐、戦局眼。
今の日本のように、文明に囲まれて平和な生活に追われていると、戦う理由を忘れて、戦わない事を当たり前だと思うようになります。しかし、いつまでも平和な場所で守られているわけではありません。気候変動や石油枯渇など、避けられない変化がありますので、まずは変化についていくための戦いが出来るように、自分を鍛えましょう。
松浦彰夫 拝












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