共産主義 黒書 ソ連編 〜「十月革命をめぐる論争」〜 - 流水成道blog

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共産主義 黒書 ソ連編 〜「十月革命をめぐる論争」〜

 恐怖、虐殺、粛清、搾取、飢餓・・・誰が暴力を行使したのか。歴史に記された貴方の真実。なぜ、ナチズムが断罪され共産主義はされないのか?フランス、ヨーロッパで大論争を巻き起こしたベストセラー「共産主義黒書」<ソ連編>を要約しながら紹介。

共産主義黒書-犯罪・テロル・抑圧-<ソ連篇>
第一章   十月革命のパラドックスと食い違い
十月革命をめぐる論争
 

 

(略)1917年10月の革命は我々にとって、二つの運動の同時的な一致とみなされるようになった。すなわち、一つは革命の他のすべての党派とは実践からも組織からもイデオロギーからもはっきりと違った一つの政党の、丹念な陰謀の準備の結果としての権力の掌握であるということ。もう一つは多様で自立的な、大規模な社会革命だということ。

社会を根底からゆさぶった第三の運動は、住民のわずか3%を代表するにすぎない社会的少数者の運動だった。しかし、それはこの国の大都市に集中した、政治的に活発な少数派である労働者の運動であった。

最後に、旧帝国の非ロシア民族の速やかな解放を通じての第四の運動が浮かび上がってくる。これら少数民族は自分たちの自治を、ついで独立を要求するようになる。

Wikipediaによれば、十月革命とは1917年10月25日、ロシアの首都ペトログラードで起きた労働者や兵士らによる武装蜂起として始まった革命。多数の労働者や兵士らを煽動した革命によるクーデターとも解されている。ソビエト革命あるいはボリシェヴィキ革命ともいわれる。

 

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この十月革命を受動的な社会に暴力的に押し付けられたクーデターとし、偶発事件でありロシア国民はその無実な犠牲者にすぎないとする歴史学派がいる。これに対して、ソビエトの歴史学は、意識的にボリシェヴィズムと連合した「大衆」によって企てられた解放の過程の、不可避的で予見できた、論理的帰結であったことを示そうとつとめた。他には、ロシア革命史の「脱イデオロギー化」を目指すものもある。これらの論争から上記内容の運動の結果を導きだすことができたようです。

そして、いくつかの運動はそれぞれが独自の時間性と、内的活力と要求をもっており1917年を通じて「解体力」として権威形態の崩壊を押し進めました。その間隙をついてボリシェヴィキは最大多数派の望む方向へと行動をとったのです。

 

倉橋 拝

 

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不条理であり、無益であり、未来もない!ロシアの思想家たちが言明した至高の原理とは・・・。歴史に刻まれた貴方の未来。共産主義黒書 <コミンテルン・アジア編>

 

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このページは、倉橋正幸が2009年7月11日 06:00に書いたブログ記事です。

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